『いずれ分かる日が来る…』の「いずれ」っていつ?

本や映画とか見てると、

あの頃は分からなかった◯◯さんの言葉たちが、今ならわかる…!(覚醒

みたいなシーン見たことありませんか?

「バラバラだった情報たちが一つに繋がった瞬間」って表現なのは分かるのですが、「なぜ分かるようになったのか?」って理由までは詳しく説明されてないんですよね。

ボイトレや武道、果ては飲み屋のおじさんの自分語りまで、色んな場所で耳にする「いずれ分かる日がくるよ…」問題。(問題?

この問題への理解が進んだのでちょっと思いのままに書いてみようと思います!

知っててほしい前提知識

多くの人は「自分にとって快適そうな選択肢(メリット)」を選び続けながら生きてるんですよね。

今より良くなろうと

  • 仕事を変えたり、
  • 住む場所を変えたり、
  • 一緒にいる人を変えたり、
  • 観るものや食べるものを変えたり、等

なので、日々遭遇する「デメリットたち」を避けて、避けて、避けまくって過ごしてるので、理論上はめちゃくちゃ幸せなゴール地点に行き着いてるはずなんです。

でも、なんかおかしい

にっと
にっと
なんか生きづらいし、スッキリしないなぁ…

いつも最善策を選んでるはずなのに、
相変わらずイライラする出来事にはしょっちゅう遭遇するし、
そんな不安を解消するために何か始めても、一瞬落ち着いてはまたすぐソワソワ…

そんな無限ループ。やだわね

本題:最善策を選んでるのに上手くいかない理由

結論はシンプルです。

メリットにならない選択肢をどっかで選んでるから

理解しやすいよう極端な例を作ってみました。

問題例「どっちを渡る?」

  1. 左の道:街の繁華街につづく綺麗に舗装された道。
  2. 右の道:渓谷(崖)に行きつく道。むこうへ渡る橋は老朽化で落ちたっぽい。

みなさんはどちらを選びますか?

ぼくはまずはきれいな「左の道」を選びます。歩きやすそうなので。

じゃぁ、これはどうでしょう。

  1. 左の道:街の繁華街につづく綺麗に舗装された道。「πίσω στο μηδέν」
  2. 右の道:渓谷(崖)に行きつく道。むこうへ渡る用の橋は老朽化で落ちたっぽい。「Δρόμοι που οδηγούν στο στόχο」

なんか変な言語が追加された…。

でも何て書いてるか分からないし、過去の経験に基づいて、安全そうな「左の道」を選びます

答えあわせ

最後の一文。あれは何て書いてたかというと、

  1. 左の道:街の繁華街につづく綺麗に舗装された道。「πίσω στο μηδέν(ふりだしに戻る)」
  2. 右の道:渓谷(崖)に行きつく道。むこうへ渡る用の橋は老朽化で落ちたっぽい。「Δρόμοι που οδηγούν στο στόχο(ゴールへ続く道)」

と書いてあったんです。(ギリシャ文字

つまり、「右の道」こそ僕の行きたかったゴールだったんですよね。(しかも左は「ふりだしに戻る」ルート…

残念…。

みなさん、ちゃんと一緒に考えてくれましたか??(笑)

さて、これを使って本題に入ってみましょう!

気づくために「飽き」の力を借りる

永遠にふりだしに戻され続けると、次第にその状況に飽きてくるんですが、これが超大事なんです。

「可能なかぎり最高の選択肢」を選び続けたはずなのに、気がつけばいつもスタート地点に戻されてる。モヤァ…

すると、人はちょっと学習します。

にっと
にっと
あれ?
もしかして「崖の方」に何かあるのかも…!?
と。

しかし、崖ルートに行ってはみたが、

にっと
にっと
向こう岸に渡る方法もパッと思いつかないし、谷に落ちて死ぬリスクは怖すぎる…

と、ふたたび街へ続くルートでどうにか出来ないだろうか?と思案し始めるのですよね。

ーーーーー◯◯年経過ーーーーー

気がつけば、また何十度目かの崖の前。

悲しいことに、どうやら挑戦できる残り時間(寿命・資金)にも終わりが見えてきました。

しかし、ここでちょっと面白い現象が起きます。

街への道を選んだ時の「飽き飽きするほど改善しない日々と、タイムリミットが迫ってくる”恐怖”」が、これまで避けてた選択肢以上に「やばいこと(大きなデメリット)」に感じてくるのです。

すると、今までと正反対の選択肢にメリットを感じ始めるので、「街への道を選ぶくらいなら…」と崖に挑戦できるようになったんですよね。(俗に言う「腹が括れた」状態)

どんな選択肢にも「その選択肢の先でしか得られない経験値」が必ずある。特に、上手くいかず悩んでた時に欲しがってたものは、除外していた選択肢の先にある事がめちゃくちゃ多い(笑)

理解度が上がる(これまでの価値観が書き換わる)ためには、これまでの自分を信頼できなくなるキッカケが必要なんだと思います

※ちなみに、問題の主人公はどうやって崖を越えて行ったのでしょう?(答えは↓のおまけで

まとめ&おまけ

まとめ

なので「時が来たらわかる」が発動する条件は、

  1. 良かれと思ってやってる(勘違い)事たちを永遠と繰り返し、そこに付随してくる「想定外のデメリット」に飽き飽きするほど苦しめられること。(例:なぜか嫌な作業を断れない。嫌な気持ちになる事になぜか自分から近づいてしまう。などなど)
  2. 苦しめられ続け「こんな状況もういやだー!」と本気で困り果てると、逆にこれまで避けてた選択肢の価値が上がり始める
  3. 過去の価値観を捨て、勇気を出して飛び込むと、新しいジャンルの経験値が増え、理解可能な分野が増える。→ 道が拓けて楽になる

こんなルートを満たす事なんですよね。

あと番外編で「選択肢に隠れてるヒントを解読できるような訓練をして、正解ルートを知れるようになる」って裏技もあります。

ですがこちらの裏技も、↑ ほどじゃ無いですが結局最後はちょこっと勇気が必要になるんですよね…。

なので、例え正解ルートを知ってても、意固地になれるくらい余裕があったり、本人の腹が括れるまで失敗(根拠)を詰んでないと、最後に飛び込む勇気(過去にメリットだと思ってた価値観を捨てる勇気)はずっと手に入らなかったり…

にっと
にっと
勇気の正体は、根性ではなく「根拠」だと思ってる派です!

おまけ

問題の答「崖の渡り方」について。

この記事を書きながら、インディージョーンズのこのシーンをずっと思い出してました。

「目を瞑ればただの道でしか無い」「今見えてる景色だけが真実じゃない」って、こういううまい表現ができるんだなーと感動しました(笑)

子供の頃は「うわーこのトリックすごー…、でも渡りたくないな…。」くらいにしか見てなかったんですが、二十数年経ってようやく分かる時が来たんですね~。

しかし道に砂利撒ちゃったら、帰りに滑ってこけそうでめっちゃ怖くないですか?ジョーンズ先生。

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